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スペック
   
全長:   2センチ
住みか   アフリカのジャングルに生息。
出没地:    普段は人里はなれた森からでない。それを悪用しようと考える人間によって人間と接触することがほとんど。
特徴:   いつもは動物の血を吸い、何事も起こらないのだが、ある臭いをかぐと獰猛になり喧嘩エキスを唾液に分泌する。
その臭いの元となるのは極限られた人しかしらないが、どうやら動物の汗のようだがまだ研究機関は解明していない。
性格:   普段は一般のハエ(というかアブに近い)とあまり変わりないのだが、喚起臭をかぐと凶暴になる。
     

けんかバエ」はどうやらフランスのではなくアフリカの妖怪のようだ。
しかし交通の便がよくなり、以前は海外のものであったはずが国内に定着した 動物や植物、病原菌でさえある訳だから、妖怪も人間の動きと供に移動しても おかしくはないだろう。
現に最近ではフランスの空港周辺にはマラリアの症例が出てきているが、 昔から港は海外との玄関口ゆえに、様々な病気、そしてそれを引き起こす妖怪の 進入口とされてた。
虫に噛まれて喧嘩っぽくなるのは、科学的にいうのなら病気の一種なのだろうか。
マラリヤかアフリカ睡眠病(トリパノソーマ症)を連想させる。

 

病気を引き起こす妖怪たち:

バジリクス:
バジリクスはヨーロッパの伝説の生物で人を見ただけで殺せると言われている。
15世紀頃では性感染症の梅毒はこのバジリクスの毒によるものだと言われた。


プリニウス 『博物誌』(ドイツ語版)、1584年

ペストの妖怪:
古代から存在したペストも黒死病と呼ばれ、色々な原因が挙げられた。
ユダヤ人のせいだとか、ライ病患者のせいだとか、悪魔説だとか色々あった。
その中には勿論、モンスター説もあった。
これもやはり、地中海の玄関口であるマルセイユで猛威をふるう。


Augustin MARIUS : Theologus herbipolensis Marianus Bubo. ナポリ 1541年


虎狼狸獣(ころりじゅう):
日本にだって江戸時代後期には海外からコレラが、当時開港したばっかりの長崎からやってきて、東海道を上り江戸で多数の死者をだした。
江戸市民はコロリと死んでしまうことから「三日コロリ」と呼び、
「虎狼狸獣(ころりじゅう)」という妖怪を想像したのだ。


「藤岡屋日記」のコレラ獣


恙虫(つつがむし):
ツツガムシ病にかかると高熱、発疹、そして多臓器不全で死ぬケースもある。
今日では野ネズミなどに寄生するダニの一種であるツツガムシによる感染症だと
わかっているが、昔の人は妖怪 恙虫(つつがむし)という妖怪に刺されたことによって発病すると信じられていた。


「絵本百物語」に描かれた恙虫





舞台: マルセイユ - Marseille

地中海の玄関口

マルセイユの歴史は古く古代ギリシアの一民族であるポカイア人が紀元前600年頃に築いた マルセイユは "cité phocéenne" (ポカイア人の街)とも呼ばれている。
2世紀にローマ帝国の配下になり、10世紀には十字軍遠征の拠点ともなり町は繁栄した。 19世紀に入り、産業が発達し、ヨーロッパの国々は植民地を作り、スエズ運河もでき、マルセイユ港は その需要を増し、「地中海の玄関口」と呼ばれた。
そこはまさしく人種のメルティング・ポットとよぶにふさわしく、地中海沿岸の国民やら、アフリカ人、 遠くは東洋人まだが住んでいる国際的な都市となった。


古き良きマルセイユ

皆さんはマルセル・パニョルという小説家をご存知だろうか。
20世紀に生きた現代の作家だが、彼のヒット作に「マリウス Marius」「ファニー Fanny」「Cesar セザール」から成る マルセイユ三部作なるものがある。
そこには航海熱に浮かされた青年マリウスと婚約者のファニーの話が描かれているが、 彼らの南仏の発音、方言とともに、古き良きマルセイユの雰囲気がでている。
マルセイユといえば諸外国の空気漂う人々、港には大きな客船、アニス(八角)をベースにしたリキュールのパスティスを すすりながら道端で行われるペタンク競技とそれに群がる野次馬たち。
というのがイメージだ。

遠い国に旅立つ客船の汽笛が聞こえてくるようだ。 ______暑い時にはやっぱりパスティスだぜ!

 

ペタンクは鉄の玉をいかに目安の玉の近くに投げることができるかを競う、
いたってルールは簡単な遊びだ。
マルセイユの人はすぐに熱くなりこのありさまだ。(デュブー Dubout画)

そして忘れてならないのはマルセイユを一望する丘の上にたつ、
ノートル・ダム・ド・ラ・ガルド寺院とマリア様だ。
マルセイユの人は「ラ・ボンヌ・メール」(優しい聖母さま)
という愛称で呼んでいる。



マルセイユの運搬橋(1905ー1945)
当時はマストが高い船が出入りしていたため橋が掛けられず、
吊り下げられたゴンドラに乗って両岸を行ったり来たりしていたのだ。

 

植民地博覧会

19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、植民地をもっていたヨーロッパ諸国はこぞって植民地博覧会を開催した。
それは他の国を紹介し、自分の国がいかに大国かをアピールするためのものだった。最盛期のフランスは世界のすべての大陸に植民地をもっていたのだ。
アメリカはカリブ海の島々、アフリカ諸国、アジアではインドシナと呼ばれていた東南アジア、オセアニアではポリネシアの島々とを所有していた。
そしてフランスで始めて植民地博覧会を開いたのは1906年、マルセイユでのことだった。
その後の1922年にも、そして1931年にパリで行われた。
フランス以外のヨーロッパ諸国も自国の植民地をアピールする博覧会を開いたが「野蛮」とされていたその国々を「文明化」するという名目で占領し、その国の資源と労働力を我が物にする先進国の方針に反感をもつ人々も少なくなかった。


1906年のポスター


エキスポのパビリオン





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